四月の一首

2019年4月の歌



平成のなごりのひとひ惜しみつつ日々草は誇りかにさく


平 成最後の日は朝から冷たい雨となりました。両陛下への、別れを惜しむ涙雨でしょうか。ご自身のことを傍らに置き、国民の心に寄り添う姿勢を貫抜き通された お二人を敬い慕う人々のなんと多いことか、ご退位を尊重しながらもそれを惜しむ思いを断ち切れない人々もまた。80歳をはるかに超えられたお二方が下され た結論はご自身の限界を悟られた上でのこと、そのことを尊重し、頭を垂れて感謝の思いを表したいと思います。お二方のご心身の安らぎを切に祈る思いです。
(ツルニチニチ草の花言葉:優しい思い出)






四月の一首

2018年4月の歌


春走り山法師さき梅実る緑織りなす卯月の庭に


今 春は気候がまことに不安定です。3月はとてつもなく寒く、4月になってからは夏日、時には真夏日が続出、暑さに慣れぬ身にとって、青息吐息の日もありまし た。いつもは未だかまだかと待つ楽しみがあったのに、気づけばハナミズキモ躑躅も咲いていて、あっという間に去ってしまうあっけなさ、、今は6月の花、山 法師が真っ盛り、石楠花、躑躅は色あせました。庭は若葉でむせ返るよう、もう初夏の雰囲気です。





2017年4月の歌


海棠の蕾はじける時を待つ春さ迷える卯月の朝に


卯 月に入りました。今朝も雨、それもとても冷たい雨、北は雪、春の思いがけない大雪のために、予測の外の山の事故も起こっています。春山登山の訓練中の山岳 部の高校生が雪崩に巻き込まれ、前途ある若者八人が命を落としたのです。春山ではなく実は冬山だったのですね。自然の力の前では、人知は時に無に等しい、 虚しさに心が塞ぎます。遺されたご家族の無念を思います。生ける者に幸も凶も齎す自然、人は常に謙虚に、相対していかねばと、改めて思う出来事でした。
例年ならば、とうに花盛りの海棠が、今年はまだ一輪とて、綻びません。穏やかな春が待たれる卯月の入りです。


2016年4月の歌


葉をとざしとき待ちわびる幼子に寄りそいてさく小花やさしき


春の長雨が続きます。
木々も草々も滴を抱えて、項を垂れひたすら陽ざしが戻るのを待っているようです。

楓の若葉は幼子の掌のようにいたいけで、
傷つきやすそう、
初めての春に戸惑って、まだ葉を閉ざしたままです。
傍に寄り添うように咲く紅の小花のやさしさ、うつくしさ、辺りには和やかな空気が流れています。

春は晴れも佳し、雨はまた更に佳し、しっとりとした静かな佇まいに惹かれて、窓から飽かず眺める春雨の日々です






2015年4月の歌


わが春はいまをときめく桜より庭さき彩る海棠にあり




私にとっての春の使者は、庭先の海棠.。
夫が可愛い花の筆頭に挙げて、植木屋さんに植え込みを依頼したものです。
この庭にやって来たのは14年ほど前の秋、、翌年の4月には、ピンクの花を沢山見せてくれました。
毎年、毎年、3月の終わり頃に小さな蕾を付けて、それが次第に膨らんで花開くと、淡い上品なピンク色へと色変わりしているのです。
今年の開花は3月27日、例年よりちょっと早めだったようです。
それからもう10日、そろそろ花弁が風に舞うように散り始めました。最後はピンクの絨毯で芝生を彩り去っていきます。

海棠の後には姫うつぎ、藤、石楠花と華やかな木々の花が続き、本ものの春の幕開けとなります。






2014年4月の歌


とろとろともの皆憩える昼さがり紫すみれと母をかたりぬ



 行きつ戻りつの季節が突然定まって、前からそうだったような穏やかな
陽気になりました。
風も無い春の午後は、空気も心もとろんとしたような長閑な雰囲気が漂います。

 外出から帰宅して、お茶を一杯、鶯餅と一緒に頂きました。
ボーッと外を見ていると真っ赤な色が一点、見に行かないわけにはいきません。
紅朴伴の訪れでした。
 
 椿の足元には薄紫のすみれが、ひっそりと咲いていました。
母がこよなく愛した花、そしてその色です。母の着物にはこの薄紫が多かったのです。
私が着ても決して似合わない気難しい色が、母が着ると、はんなりと匂い立つようでした。
「今年も逢えましたね、おかあさまはお元気かしら?」と話しかければ、
顔を上げて微笑んでくれます。
信州では「神知る花」と言われています。母の化身のように思えて、愛おしいのです。
 3月31日発行とした「茶室の十二ヵ月」が刊行しました。
 表紙の色は薄紫、74ページの本の中に、母のもてなしの心が息づいています。
頁を繰れば、そこに母がいてくれる、そんな本になりました。







  2013年4月の一首


薄衣をまといし如き海棠に虜となりしか黒き小蜂は


例年ならば、桜が盛りの時期なのに、今年は早々と咲き急いでもう北へと走り 去ってしまいました。

その後を追うように海棠も3月末から咲き始め、今は爛熟期と言ったところ、花びらは散る寸前のはかなさです。

今日は4日ぶりに春の陽射しが戻りました。陽を受けて花弁が透明感を増し、ほれぼれするほどの美しさ。見惚れていましたら飛んできた真っ黒な蜂が花の中央 でじっと動かなくなりました。
美酒に酔ってしまった風情です。

この蜂の名は墨染葉切蜂、お腹に花粉を付けて花から花へと渡り歩いて、秋の実りの助けをするのが役割だそうです。
なのに、ちっとも働く気はなさそうにじっとしていました。
長閑な卯月入りです。








2012年4月の一首
 


うつむきて桃色に染む海棠を夫はめでたり乙女の如しと

うつむきて桃色に染む海棠を
夫はめでたり

 夫がその花に出会ったのは、ゴルフ場でだったそうです。「とっても可愛 いピンクの花が下を向いて咲いている姿がいじらしかった。あれは何という花かなあ」と、とてもご執心のようでした。

 植木屋さんに咲き時と姿と色を伝えましたら、直ぐに花の名前がわかりまし た。それ「海棠」でした。
早速に植え込んでもらったのが10年前、それからというもの毎年4月になると、沢 山の花を咲かせて、私達を楽しませてくれています。

 この花が巡り来ると、芝の上でパッティングの練習をしながら、時に手を止 めて、海棠に目を細めていた夫の姿を思い出します。

乙女の如しと



 
 

2011年4月

やわやわと春の陽ざしのとどく日に川辺の若木に初花やどる


今年の弥生の日々はつらい思いの中で過ぎていきました。そして迎えた花ど きに、華やぎはありません。春を見ることも無く、1万人を越える方々があの日を境に旅立たれました。

春待つ思いが一入の雪国で、寒が去って花の季節が訪れれば、花を愛で、春を 楽しまれたに違いない方々。その方々の悲しい終末を、花はいたわり、魂をそっとつつんで差し上げることでしょう。

北国にもようやく春が芽ばえる季節、花咲く美しい日本の春を、悲しみの旅に 出られた方々に捧げ、心からの祈りを捧げたいと思います。

少しぬくもりのやってきた朝、川辺を歩いてみましたら、明るい陽ざしが届く 一枝に、開き始めた一輪を見つけました。ようやく季節は巡ってきたようです。


 
 

今月の歌目次