2016年11月の一首


木洩れ日に応ふる紅き一葉あり秋を担いて誇りかに見ゆ


昨夕庭を歩いていた時のこと、西に傾きかけた陽ざしが木の葉の間からきらきらと零れ、それを受けて輝く紅を目の端に見留めたのです。瞬時に「あっ始まった」と心が躍りました。
待ち焦がれた今秋の初紅にようやくに出会えたのです。
少し紅を掃いた葉を二枚従えて、秋を担った紅一番葉は両手を広げ、得意げに見えました。
これから一ヵ月間の四本の楓の紅の饗宴の幕開けです。






2015年11月の一首


菊の葉を種火に添えて炭点てる陽ざし戯むる炉開きの日に


秋が深まりました。
茶室はもう冬支度、半年間使った風炉を納め炉に火を熾す炉開きの季節を迎えました。

 炉開きは季節を渡す行事、新しい季節を迎える、お茶の世界での迎春に当たるのだそうです。熾した炭には香の代わりに菊の葉を添え、塩で灰を浄め、火打石を打って厄を払い、猪子餅を整えて、無病息災、子孫繁栄を祈ります。
 
 普段の生活には馴染み少ない炭点前も、一つ一つ丁寧に意味を考えながら手順を辿り、使われるものの持つ役割を思う時、いにしえから伝えられた事々、人々の命への願いは、時代を越えて、今に脈々と繋がっていることに気付きます。
菊の香の漂う茶室で、松風を聴きながら味わう抹茶は特別なお味に思われ、心引き締まる思いで過ごした、炉開きの一日でした。





2014年11月の一首




ち呂(ろ)ち呂と小春日おどる生垣に時に迷いてつつじ咲きいず




猛暑が続いた後、突然夏が終わって、早足に秋が訪れたことと関係があるのでしょうか、今年は迷い咲きする花が多いような気がします。
 8月の暑さの中に戻ったヤマボウシは、今の気候が心地良いのか、朝夕の気温が冷え込んできた作興んでも一向に過ぎらる気配はありません。

 つつじはここに来ての小春日和に、突然二輪花開き、その後また一輪咲きました。ぽかぽか陽気に、春到来と勘違いしたのでしょうか、これからの寒空で、風邪を引かないかと気がかりです。

 楓の紅庭は、今しばらく後、彩りの少ない庭に、迷い咲きのつつじの赤は貴重です。小鳥の目に入り易い木の実の鮮やかな赤は、小鳥たちの餌になって、随分と数を減らしました。季節が進んでいます。 






2013年11月の一首


彼の岸へ母を送りし帰り道黄金の光海射るを見ゆ





姑が永久の眠りについたのは、9月のことでした。
あっという間に日が過ぎて、
舅や姑の兄弟姉妹が待ち侘びている彼岸へと旅立ったのは
朔日のことです。
その前日の夕暮には子供たちが集い、お別れの会を開きました。
人に恵まれ、賑わいの中で生きた母に相応しい賑やかで、
和やかな会となりました。

その帰り道、飛行機の左の窓から、こんな光景を見ました。
すぐに消えましたけれど、
「ああ、おかあさまがさよならを言いに来て下さった」
と咄嗟に思いました。
いつものように、母がそっと頬を撫でてくれたような気がして、
あまい悲しみが心をひたひたと濡らしました。








2012年11月

十一月の一首




と呂とろと日ざしまどろむ昼下がり隣家の柿のつややがなりき






 朝の空気はピーンと張って、肌を刺す冷たさとなりました。

でも陽が高くなり風も止んだ昼下り、
日溜りにはトカゲの親子がのんびり日向ぼっこ、
コスモスはそよとも揺れ ない、そん な ひとときもあります。

 小鳥の襲撃も受けずに熟し行く隣家の柿をいつもフェンス越しに眺めながら、
日毎に色増してつやつやと輝く 実りに、深まりゆく秋を感じています。

 まもなく本格的な寒さがやってくるのでしょう。
穏やかなインディアンサマーの一日が、貴重に思える昼下が りです。








2011年11月

十一月の一首
 
 

茶の道はもてなす心に尽きるとう母の茶庭に秋草の満つ


 母のもてなしの心をもっとも端的に表しているのは床の間の茶花ではないかと思います。生ける花は全て庭で慈しんだもの で、買った花で間に合わせることはありません。
 勿論茶道具から菓子に至るまで、母は心を尽くしてその季節、その日に適した品を選びます。
でも茶花は育てるところから始まり、丹精の実りを生け込むまでの長い道のり全てにもてなしの心が篭められています。
 今では茶花の丹精は義妹の手に委ねられましたが、庭に咲きそろう花々の多くは、母が好んで植えたものを大切に受け継ぎ、育 んで、今にあるものです。
 その花たちを母は茶会の度に、楽しそうに生け込んでいます。
 
 写真提供:小川洋子(義妹)

今月の歌目次