舅の愛した抹茶茶碗
The tea bowls collection of my father in law
 窯元という場所を始めて訪れたのは、1962年義父に案内されてのことでした。
以前も書きました萩焼の田原陶兵衛さんの窯でした。その後も坂田泥華さん、岡田仙舟さん、大和松禄、坂倉新兵衛さんの窯を訪ねる機会がありましたのは、ひとえに義父のお付き合いの広さとやきものへの深い理解と関心による縁のお陰でした。
 義父が最も好んだやきものは萩焼でしたが、仕事柄旅をすることの多かった義父は、行く先々で骨董屋ややきもの店を訪ねるのを楽しみにしていたようです。
上京の折には、「これを貴女に」と抹茶茶碗をおみやげとして手渡されることもありました。 
 やきものを始めた私の拙い作品にも常に温かい眼差しを向けて励ましの言葉をかけてくれるのも父でした。
義父にほめてほしさに、盃や徳利、小鉢などを作り、上京の度にそれらのやきもので父をもてなすのが私の楽しみでした。「あなたの料理はうまい。器もなかなか良い。貴女が窯を築くか料亭でも開くなら、私がスポンサーになろう」などと言って私を喜ばせ、いつも良い気分にさせてくれる大きくてやさしい人でした。
 お茶をたしなみ、クラシックを好み、画家の後押しをし、彫刻、書、やきものと好みは広く、いつも沢山の良いものを身近に置き、見て、使って楽しむ趣味人でもありました。
 私がお茶とやきものをやっていたからでしょうか、義父は自分の愛した良いものを私に沢山遺してくれました。
これ等の中から抹茶茶碗を取り上げてご覧いただこうと思います。
こわれものですから日頃は箱入りですが、折に触れ茶室に顔を出し稽古を更に楽しいものにしてくれています。
 
義父が好んだ井戸茶碗
(濃茶茶碗)

 ご存知のように萩焼の技術は李朝の陶工によってもたらされたものと言われています。朝鮮で生活雑記として作られていた茶碗を侘びに通じると取り上げたのは利休とのことです。それらの茶碗は高麗ものと呼ばれて茶人に珍重されたそうです。萩で作られるやきものはこの高麗茶碗の形を模したものが多く、特に井戸茶碗といわれるものが主流のようです。茶人が最も好む形といわれています。井戸の名前の謂れは諸説あって定まらないそうですが、単に井戸のように見込みが深いという説が有力だそうです。父が好み、愛用した井戸茶碗をご紹介したいと思います。


高麗大井戸茶碗
銘:紅葉
17世紀?

これは萩焼ではなく朝鮮半島で焼かれたいわゆる高麗茶碗です。
作者は名も無き李朝の陶工です。銘は後から付けたものと思われます。

萩焼大井戸茶碗
15代 坂倉新兵衛作
(1949〜

坂倉家初代は「李勺光」。毛利輝元が朝鮮出兵の折に国許に連れ帰った陶工です。萩に築窯して、高麗焼の秘法を伝えたそうです。

 

萩焼井戸茶碗
13代 坂田泥華作
(1915〜2010.2)

坂田家の初代も「李勺光」。8代から坂倉家と坂田家に分かれとようです。泥華の井戸茶碗は特に「泥華井戸」と呼ばれます。

萩焼井戸茶碗
13代 坂田泥華作
(1915〜2010.2)

上と同じ作者ですが、上は70歳代、下は50歳代頃の作品と思われます。
 
 
 

 


 

萩焼井戸茶碗
11代 大和松禄作
(1924〜)

大和窯元を訪ねた時、義父が購入し、私の母にと言付けてくれたものです。


 
 
井戸型以外の抹茶茶碗

 義父は仕事の関係で上京する機会が多く、仕事が終ると孫の顔を見に、我が家を訪ねてくれるのが常でした。家の中でもきちんと紺のダブルの背広を着たまま、ネクタイを緩めることさえしない義父でしたけれど、決して堅苦しいことはなく、何時も豊な話題で座を盛り上げてくれる素敵な人でした。その義父の手土産の中には時々さりげなく貴重なものが入っていて、私はそれを密かに期待しているところがありました。ここに載せたものは、義父から直接手渡された抹茶茶碗です。
 
萩焼茶碗「鶴」
12代 坂倉新兵衛作
(1881〜1960)
山口県及び国の無形文化財、
表千家で奥伝まで修めたそうです。







萩焼にしては薄作り、そして珍しい絵付け茶碗です。下の松と共にお目出度い柄ですから、お正月に薄茶茶碗として使っています。

萩焼茶碗「松」
12代 坂倉新兵衛作

同じ作者の「割り高台」の茶碗です。  



正面の松の絵柄
萩焼平茶碗
吉賀大眉作
(19151〜1991)

萩焼には比較的少ない小振りの平茶碗です。薄茶に使います。
 

有田焼茶碗
一土釜 斉藤 勉作

平戸のやきもの店で見つけたそうです。指跡の残る手捻りの作品です。薄茶に使います。

志野焼茶碗(鼠志野)
岐阜県土岐市 壮山窯

上京の折の手土産でした。
濃茶用です。


 
 ご覧戴きましたように義父から手渡された品物はみな格調高く、鑑賞に値するものばかりです。
でも桐の箱に収い、大事に納戸にしまったままでは物は物のままで命は通わないというのが義父の持論でした。
義父はよく箱から取り出して、「貴女にお茶を一服点てていただこうかな」と手渡してくれました。
「茶碗は道具だから、使って始めて生きてくる。飾っておいたりしまっておくのは意味が無い。
人の手に触れ、可愛がられて温もりも味も出る。水をくぐらせたり、茶筅を当てることで、土肌が練れて、しっとりとした良い味わいになる。使い込んでください」と義父から言われました。
その言葉に勇気つけられて、手渡されたその時からせっせと使ってきました。社中のみなさんも「良いものに触れると心が豊かになる」と可愛がってくださいます。大事に扱いながらも惜しみなく使い、茶碗に命を吹き込みたいと思っています。

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