義父が好んだ井戸茶碗
(濃茶茶碗)
ご存知のように萩焼の技術は李朝の陶工によってもたらされたものと言われています。朝鮮で生活雑記として作られていた茶碗を侘びに通じると取り上げたのは利休とのことです。それらの茶碗は高麗ものと呼ばれて茶人に珍重されたそうです。萩で作られるやきものはこの高麗茶碗の形を模したものが多く、特に井戸茶碗といわれるものが主流のようです。茶人が最も好む形といわれています。井戸の名前の謂れは諸説あって定まらないそうですが、単に井戸のように見込みが深いという説が有力だそうです。父が好み、愛用した井戸茶碗をご紹介したいと思います。
高麗大井戸茶碗
銘:紅葉
17世紀?
これは萩焼ではなく朝鮮半島で焼かれたいわゆる高麗茶碗です。
作者は名も無き李朝の陶工です。銘は後から付けたものと思われます。 |
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萩焼大井戸茶碗
15代 坂倉新兵衛作
(1949〜
坂倉家初代は「李勺光」。毛利輝元が朝鮮出兵の折に国許に連れ帰った陶工です。萩に築窯して、高麗焼の秘法を伝えたそうです。
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萩焼井戸茶碗
13代 坂田泥華作
(1915〜2010.2)
坂田家の初代も「李勺光」。8代から坂倉家と坂田家に分かれとようです。泥華の井戸茶碗は特に「泥華井戸」と呼ばれます。 |
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萩焼井戸茶碗
13代 坂田泥華作
(1915〜2010.2)
上と同じ作者ですが、上は70歳代、下は50歳代頃の作品と思われます。
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萩焼井戸茶碗
11代 大和松禄作
(1924〜)
大和窯元を訪ねた時、義父が購入し、私の母にと言付けてくれたものです。 |
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