ボストンで通った陶芸教室
Pottery classes I attended in Boston

*その1( pottory class in Boxborough )
 ボストンでの6年間に、3箇所の陶芸教室を経験しました。
最初に通ったのは町が小学校の教室を開放して行うadult education programの中にあったもの。
6セッションで完結というのも取り付きやすく、経費も安い(確か6セッションで18ドル)ですから、すぐに定員に達する
人気教養講座でした。
アメリカ人は残業というものをしない人が多いらしく、ウィークディの夕方6時から1時間半のクラスに
「仕事の手が離せなくて・・」などと言って遅刻する人はいませんでした。
 時間も期間も短いものでしたから、ここでは陶芸の技術を学ぶというよりは、
土に触れてみること(土もあらかじめ練ってある)、そして土で何かを作ってみること、要するにpotteryの感覚を知る
ということに重点が置かれているという感じのクラスでした。
 5セッションの間に作り溜め、インストラクターが焼成したものを、6回目に纏めて講評を聞き、1コースが終わります。
アメリカで参加した初めてのクラスでしたから、新鮮で、楽しいものでした。
 ここで学んで、後々まで助けられたことは陶芸以外では殆ど使うことの無い、道具や釉薬の英語名を覚えたこと
です。ちょっとうれしかったのは、日本の志野、楽、天目などの言葉が、shino, raku, tenmoku とそのまま使われて
いたことです。もっともインストラクターがそれぞれの例として示してくれた作品は、私が知っているそれぞれとは
イメージがかなり異なり少々戸惑いも覚えましたが。

*その2(Pottery class in Lexington )
 ボストン郊外のレキシントンという街をご存知の方は多いと思います。
アメリカ史発祥の地、独立戦争勃発の地として、アメリカ人がこよなく大切にしている整然としたとても美しい町です。
 そのレキシントンの街の目抜き通り(マサチューセッツ・アヴェニュー)に、いつもセンスの良い素敵な陶器を
ショー・ウインドーに飾っている店がありました。
やきものが見たくてよく通ったその店に、ある日「生徒募集」の小さな張り紙が出ました。
その陶作品の主が陶芸の指導をするというのです。1も2も無く応募しました。
実はその陶芸教室は既に長いこと続いていて、欠員が出たときだけ補充をするという形を取っていたようです。
 こちらのlesson feeはその前のパブリックなものとは大違い(10回のセッションでたしか300ドル位)でした。
一回が材料込みで3000円前後は日本では高い部類には入らないと思いますが、アメリカでは破格の高さです。
でも夕方5時から10時まで好きな時に行って、思い思いに作陶に打ち込める広いスペースがあり、道具も充実して
いました。
 ネイティヴアメリカンのインストラクターの作品は非常に繊細で雰囲気のある魅力的なものでした。
ことに壺に動物、昆虫、花、木や山などを細かく描いた壺や繊細な彫り込みをした容器など見惚れるほどに美しく、
魂が篭っていると感ずる豊かさがありました。
到底真似できるものではありませんでしたが、この時期に私が作ったものは壺や皿に様々な木の葉を彫り込んだ
ものばかりです。
参加者は高度な技術を習得している人が多く、みなそれぞれに自分の世界を築いていました。
A

その中で私の強みと言いましたら、彼等に比べれば指先が
少し器用ということくらいだったでしょうか。
私が大きな壺を輪積み法(紐状にした陶土を積み上げては、
叩き棒で叩きながら伸ばしていく方法)で作り上げていくやり方を
インストラクターが目を細めて眺めながら「ほらジャパニーズ・ウェイ
だよ。見てごらん」と生徒に言っているのを聞いた時は
うれしくなりました。
大きな壺を2個、大皿を1枚作り上げたところで、母の入院のために
帰国しました。
そして戻った時には私の席はなくなっていました。
尻切れとんぼで終ってしまったこの教室にはいつまでも
後ろ髪引かれる思いが残りました。
 
 

*その3( Pottory class in Concord )
3つ目に通った陶芸教室は*コンコードにある*Emerson 
Umbrella Center for the artsという所の中にありました。
地下1Fから3Fまでの建物の各部屋が芸術家の活動拠点に
なっていて、そこには陶芸家、画家、写真家、彫金家、
詩人、宝石デザイナー、舞踊家、エンターテイナーなど
多くの芸術家がstudioと称する教室兼制作室、研究室、
稽古部屋を持って活動していました。
私が通ったのは、そこの地下にあった陶芸教室で、
日本の益子で勉強したという陶芸家が指導者でした。
30人ほどが制作できる規模の教室と指導者とその助手
(本業はMITの教授とのことでしたが)二人分の制作室、
人が立ったまま中に入れるほど大きなガスの陶芸窯が
別室に設置されてもいました。

Emerson Umbrella Center for the arts
 ここに来る生徒は既にかなり経験を積んだ人達だったようで、基本から指導を受けている人はいませんでしたし、
手捻り制作をする人も見かけませんでした。力の強そうな男性が多く、轆轤に向かって大きな土の固まりを
一気に引き上げ大壺などを制作する豪快さを見せて貰いました。
 私もこの時期は花瓶や鉢など、轆轤引きの比較的大きな作品を多く作りました。日本のやきものの影響を
強く受けていた指導者は、天目釉、磁器釉、志野釉などを用意していましたから、私には制作しやすい条件が
揃っていました。
日本風な釉薬を使い、茶道具の形をした物を作っても、出来上がったものがどこかバターくさいのは不思議な
ことでした。
でも仲間からは「really Japaneseだね」と言われていましたから、アメリカ人にはそう見えたのでしょう。
 ここで学んだことは、細かいことにちまちまと気を使わず、大らかに制作をすることの気分の良さだったと思います。
帰国する直前まで、吹雪の中や、雪融け水が凍結した夜道をものともせずに3年間通い続けたのは制作の場だけ
ではなく、各人の個展や夕食会など人の輪の広がりの楽しさにも魅せられていたからでしょう。

 通ったそれぞれの教室で得たものが今どう生きているのかは自分では分かりませんが、やきものがより好きに
なる体験だったことだけは確かです。何処の場でも日本のやきものが高く評価されていたことは何よりも
うれしいことでした。



*コンコード
レキシントンと並んで独立戦争の戦場として歴史に残る街です。レキシントンのBattle Greenでの
戦いに不利になったminute man(1分で集まる農民兵)が、コンコードのNorth Bridgeまで撤退し、
ここで態勢を整え直して反撃に転じ、戦いを勝利に導いたと橋の袂の史跡説明板に書いてあります。

*Emerson
ボストン近郊にはEmersonを名前に冠する大学や施設が沢山あります。
ラルフ・ワルド・エマーソン(Ralph Waldo Emerson、1803年5月25日 - 1882年4月27日)
を称えてと聞きました。
思想家(超越主義)、哲学者、作家、詩人、エッセイストとしてボストニアンの誇る知識人。
ボストンで生まれ、コンコードに住んだそうです。
 

やきもの目次